2016年 8月7日(日曜日)
第26回 鳥取県琴浦町「白鳳祭」ことうら夏の夢祭り
「レーザーライト・花火ショー」に行って来ました。
連日30度を超す暑さ。
夕方の食事を済ませて、ウォーキングを兼ねて歩くこと
20~30分、総合公園につきました。
バックには、手作りの焼きプリンと小さく切ったメロンを忍ばせて、
近所の友達と出かけました。
しか~し、到着してあまりの人に圧倒されました。
昨年より、はるかに多い・・・・
年々人気が高まってきていると感じました。
やっとテントの間の小さなスペースを見つけて、
座る場所を確保しました。
やはり、おやつを持ってきて良かった!
これでは、とても買いにいけそうもない。。。。
プリンやメロン・戴いたアイスクリームを食べたり、
世間話をしながら回りを見渡すと、親子ずれや若い人が
多いように思いました。
浴衣を着ている女性も多く見られました。
女性の浴衣姿もいいですね。
何年も、袖を通していない我が家の浴衣。
「タンスの中でどうなっているかな?」チョット頭をよぎります。
8時30分過ぎ予定時間より少し遅れて花火ショーが始まりました。
。
鳥取県内ではここでしか見られない
「花火とレーザーと音楽のコラボレーション」
夜空いっぱいの大パノラマに繰り広げられる、
きらめく無数の花火。
右往左往するレーザー。
お腹にズシンと来る破裂音。
迫力のある音楽。
歓声とどよめきと火薬の匂い。
何んといっても、この迫力・・・・素敵でした。
実際に目で見るこの光景は、映像では味わえません。
今年は、子供向けの曲も入っていて、子供達には喜ばれたのでは
ないでしょうか。
you tubeで今回の第26回 白鳳祭 花火ショーの
動画を見つけましたので、お借りしてアップしました。
花火ショーの雰囲気をお楽しみください。
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2016年 第26回 鳥取県琴浦町白鳳祭
8月7日(日曜日)「食と火の祭り」をテーマに、
ことうら夏の夢祭り「第26回 白鳳祭」が開催されます。
8月7日(日曜日)は、琴浦町白鳳祭が熱い!!
白鳳祭の中で、私のお目当ては花火ショーです。
・開催日 平成28年 8月7日
・打ち上げ場所 琴浦町東伯総合公園(琴浦町田越56番地)
・開催時間 20時30分~21時
毎年楽しみにしている花火大会です。
この花火大会は白鳳祭の一環で、行なわれますが、私は4~5年前に
始めて行ってから、その素晴らしさに感動して毎年この花火だけは
欠かさず見に出かけます。
これは昨年の花火ショーの写真です。
(素人写真で汚いですが、実際は素晴らしいです)
何といっても、花火とレーザーと音楽のコラボレーションは素晴らしい!!
多分・鳥取県内ではここでしか見られないと思います。
その魅力に、訪れた人は圧倒されることでしょう。。。。
また、訪れた人は私のように、すっかりファンになり
毎年足を運ぶ羽目になるかも・・・・
口コミで毎年訪れる人が増え、当日は人であふれます。
今では、帰りのピストンバスが、アプト線では、1時間待ち
ほどの長蛇の行列になるほどです。
(昨年は1時間近く待ちました。)
また、8月7日この日の白鳳祭は、花火ショーだけではありません。
数々の催しがあります。
8月7日 琴浦夏の祭り「白鳳祭」17時~21時
会場内イベント
16時~ ゲームコーナー
18時20分~ 琴浦音頭
20時20分~ たいまつ行列
ステージイベント
16時30分~ 白鳳太鼓・彩七・もっと花咲隊コラボ演奏
17時~ みどり保育園 園児による演奏
17時10分~ ダンスパフォーマンス
18時~ あごカツカレーバーガー早食いイベント
(16時30分~ 参加費無料 先着10名 本部テントにて受付)
19時~ お楽しみ抽選会(琴浦町の特産品等が当たります。)
(17時~ 先着500名 会場入口受付テントで抽選券の配布)
19時20分~ ダンスパフォーマンス
20時~ 逢束踊り
20時15分~ 白鳳太鼓
20時30分~ レーザーライト・花火ショー
・キャンドルイルミネーションの点灯やゲームコーナー
・大乳アイス無料配布などさまざまな催しもあります。
●アクセス
車で・・・山陰道「琴浦東IC」より車で5分
JRで・・・「JR浦安駅」より徒歩10分
車や電車をご利用の方は、下記シャトルバスが便利です。
無料シャトルバスは、17時~22時まで随時運行。
乗車場所は
・アプト駐車場
・浦安駅南駐車場
・役場本庁舎駐車場
経験から言って、当日は、ものすごく混雑します。
よほど時間が早くない限り催し会場の駐車場はいっぱいです。
無料シャトルバスの方が、安心です。
昨年は、遠方の友達が2人いたので、無料シャトルバスを
利用しましたが、いつもは近所の友達とウオーキングを
かねて歩いて行きます。
また、敷物や飲み物を用意して行った方が、安心です。
食べ物や飲み物を買いに行っても、長蛇の行列でなかなか大変。
それに場所がわからなくなって困った事もあります。
迷子にならないように注意しましょうね!
でも、美味しそうな匂いに、つい足が向いてしまいますが・・・・
夏休みの家族全員で楽しむにはこの白鳳祭はピッタリです。
キャンドルイルミネーションを作ったり
ゲームを楽しんで景品もゲット!(数に限りがあります。)
2回もアイスの無料配布まである。。。。
こんなイベントで子供も楽しめて、年配の方も楽しめる・・・
4~5時間だったら丁度良い時間です。
家族全員で楽しめて、沢山の思い出作りが出来ますよ!
(でも、自分が出したゴミは、持ち帰りましょうね!)
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平成28年3月27日(日)今にも雨が落ちてきそうな
肌寒い日『やばせ歴史探訪会』に参加しました。
『やばせ歴史探訪会』
主催:八橋振興会
3月27日午前8時30分「jr八橋駅」前に集合。
参加料 :300円(地元商店商品券300円付き)
終了予定時間:12時
集合場所の「八橋駅」は、八橋海水浴場が近くにあるため
以前は、とても賑わっていましたが、最近では、自家用車の
普及と共に、だんだん寂しくなってきました。
また、鉄道も単線で普通列車のみ停車します。
現在では、お洒落にリニューアルされ、一部が「八橋ふれあいセンター」
という地域交流施設となっています。
この日、八橋駅前に集まった『やばせ歴史探訪会』の参加者は、
およそ50~60人くらいではないかと思います。
受付・準備体操の後、2班に分かれて出発!私は後発組。
お天気を気にしながら八橋駅前を出発しました。
地図を片手に、町会議員の高塚さんのテキパキと要領の良い説明を
聞きながら、なるべく遅れないようについて歩きます。
しかし、デジカメで写真を撮りながらなので、どうしても遅れがち。
小走りで、追いかけます。
しばらく行くと、毎年お正月に初詣に行く諏訪神社に着きました。
諏訪神社は、貞観3年(861年)清和天皇が信濃の国諏訪から歓請されたと伝えられています。
明暦元年(1655年)再建され、明治5年(1872年)諏訪神社となりました。
お諏訪さんとも呼ばれ、10月のお祭りには、伝統の神輿と山車の行列が続きます。
諏訪神社から見た八橋の町並み。
お天気地蔵さんも、綺麗な花が供えられて。 かって大八車の製造所があったところ。
海岸沿いの道を進むと
八橋は城下町です。
町の至るところに、当時の名残があります。
かって八橋には、山陰道(伯耆街道)が通っていて、
陸上や海上などの交通が栄え、経済や軍事上の重要な拠点
だったようです。
奈良時代から使われていた道で、八橋と倉吉を結ぶ道を「八橋往来」と
米子と鳥取を結ぶ道「伯耆街道」が、通っていました。
街道沿いに、宿屋や商店が並び賑わっていました。
八橋の東部で倉吉に向かう八橋往来が分岐し、江戸時代の
早くから宿駅とされ、法令規制などを知らせる制札場も
置かれていたそうです。
八橋には、沢山のお寺があります。
今は、廃寺となったこのお寺も、
この日は特別にご開帳されました。
歴代の「八橋城主」が眠る 体玄寺
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、
「八橋城」は、中村一栄公が城主となりました。
体玄寺にある「中村一栄公の墓所 」
その後、元和3年(1617年)池田光政が鳥取藩主
になった時一藩一城制で廃城となりました。
寛永九年(一六三二年)池田光仲入国後、津田氏が八橋を領有し、
以後明治維新まで陣屋を置いて治めた。
昨年秋鳥取にある「池田墓所」に行った時の動画
→ https://youtu.be/c735JT99Q7s
津田家の菩提寺である体玄寺(南西二〇〇m)の西側、
小高い丘の上に津田家の墓所があります。
圧倒する程雄大な墓碑十一基が往時の面影を残しています。
八橋城跡(昭和49年5月1日・町指定史跡)
八橋城跡は、山陰線の開通により分断されてしまいました。
今では、ほんの1部の石垣を残すだけで想像すら出来ません。
八橋城跡に上ってみると、八橋が一望できます。
「八橋城」について。
城山としては、小さくも高くもなかったが、街道に沿う要衛で戦国時代、毛利、尼子の攻防の城となった
慶長5年(1600年)中村一栄が伯耆一国を領有し3万石の城主となった。呼び名も始め「大江の城」その後城主の移り変わりと共に「立石城」「津田城」と変わっている。元和3年(1617年)一国一城制となり八橋城は廃城となった。
寛永9年(1632年)鳥取城主池田光仲は着座家と称される重臣
津田将監元匡に領地(八橋)の町政を委任し「自分手」といわれる
独特の町方政治が行なわれ、幕末まで続いた。
(全文 八橋見どころマップより)
そして、八橋と言えば忘れてならないのが、小泉八雲。
「耳なし芳一」などで有名な作家。
小泉八雲は新婚旅行で八橋の旧中井旅館に宿泊し
八橋をとても気に入り海水浴や散策を楽しんだそうです。
八橋海水浴場には、小泉八雲の記念碑が建立されています。
旧中井旅館は、平成元年に閉館、
平成21年には建物の改修が行われました。
ここでは、いろいろなイベントが行なわれます。
「江原酒造本店」
明治26年創業の老舗「江原酒造本店」平成10年、鳥取県民建物100選に選ばれています。建物は昭和5年御来屋の呉服店の建物を解体移築した。
材料は総檜造りで、幅30cm10mを超す大黒柱、7段組の梁、
珍客門、帰らざる門、一般門と特異な構造となっている。
(八橋 見所マップより)
最後に八橋の由来
神代の昔、大国主命の娘である「高姫神(たかひめのみこと)」が、出雲から加勢蛇川のほとりまでおいでになった時、八岐大蛇(やまたのおろち)の霊魂が「高姫神」に襲いかかってきた。スサノオに討たれた八岐大蛇が、スサノオの孫である「高姫神」に恨みを晴らそうとしたのである。
その時空は急に曇り川の上には雲が覆いかぶさった。
まるで、八つの蛇橋が重なって架かっているようであった。
「高姫神」は恐れて心の中のスサノオの御霊に加護を念じたところ、
八岐大蛇がの霊魂は、消え去った。
このときから、この川を「加勢蛇川(かせいちがわ)」と名付け、
この地を「八橋(やばせ)」というようになった。
(東伯町史より)
長い間八橋に住んでいながら、見ること・聞く事
知らないことが多く、改めて八橋の町の至るところに
歴史の足跡が残っていることを知りました。
幸いにも心配していた雨も降らず、あっという間の3時間でした。
楽しい時間でした。
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